誕生日をめぐる気持ちのゆらぎ 夫がわるいのか私が悪いのか私も悪いのか
夫が代替案を出してきた。
このブログ読んでるのかな(笑)
代替案は2つ。
1)日をずらして、同じレストランへ(1か月後)
2)家から徒歩5分の、フレンチへ
1)は、つまり誕生日はどこもいかない・何もしないという事。
娘はテストと塾で不在で、その間2人で家にいて
冷静さを保てる自信がなかった。
何もしてもらえないのもみじめだし、ふたりっきりになりたくなかった。
2)考えれば考えるほど悲しくなる。
家から5分のレストランで、誰得?
コロナで外出したくない夫のみ得笑。
そのレストランは、フレンチといっても田舎の駅から徒歩15分の所にある
ただの田舎レストラン。日中はPTAのお母さん方のたまり場。
おいしいという噂も、おしゃれという噂も、居心地がいいという噂も聞いた事はない。
電車に15分乗ると選択肢は溢れているのに、ただ思いついたレストランを口に出しただけ。私の事を考えてくれている提案ではない。悲しい。なんだろうな。ネットで調べれば選びきれないほどの情報があふれている子の様の中で、何も調べず・とりあえず・妻の機嫌を損ねない事を最優先に・ただそれだけを考えた選択肢、として彼にとっては裁量の選択肢だったのだろう。
どうでしょうかと聞いてくるけど、もう誕生日の事を自分で考えなければいけないことも、そんな選択肢しか出してこない夫であることもみじめでみじめで、考えて、と言っておいた。
このブログも、書こうか散々迷った。
毎日の様に書くことが多すぎて、気が狂いそうになってくる。
このままブログで夫を罵り続けることは修羅の道。
じゃあ、自責の気持ちでもっと改善できるところはないか、探すべきなの?
確かに、自分の誕生日には厳しいけど。
翻って、夫の誕生日に、夫が何をすれば喜ぶのか想像がつかない。
コロナだし、うちでおいしいものが食べたいっていうのかな?
で、頑張ってご飯作るじゃん?
その後、気持ちを入れて頑張っても、また悲しい事が必ず起こる。
で、頑張って誕生日祝わなければよかった。とまたブログで罵るのか。
自責で改善点を探そうとしても、また悲しみの底に落とされることしか想像できない。
だからといって、気が狂うようなおぞましいブログを書き続けることは果たして正なのだろうか。
ああ、昔に戻りたい。
こんなに壊れた夫婦になるとは思わなかった。
人間同士として向き合わなければいけないようなそんな事は起こらなかった
昔に戻りたい。
夫は私の事が好きではない